「笑っていいとも」の司会者として30年以上活躍したタモリさん。トレンドマークのサングラスが目に浮かびますよね。
ただ、タモリさんの昔の活動を知る人は多くないはず。昔はサングラスもかけてなくお笑い芸人として活動してきました。
今回はタモリさんの半生を小学生時代から解説していきたいと思います。
・タモリの昔の芸能活動やデビューについて
・タモリの芸人デビュー前の破天荒な人生や伝説について
目次
タモリプロフィール

芸名:タモリ
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県福岡市南区
職業:タレント、お笑い芸人
タモリの昔の写真。昔はサングラスをせずにお笑い芸人をしていた

笑っていいともの司会者として有名なタモリさんですが、過去を知る人は多くないでしょう。まず、タモリさんがお笑い芸人だったことはご存知でしょうか。
司会者としてのタモリさんしか知らない方も多いと思いますが、明石家さんまさんとビートたけしさんと並んでお笑いビッグ3と呼ばれていました。
タモリの昔は素顔を出していた。サングラスをかけた理由は素顔が地味だから

タモリさんが笑っていいともで素顔を出すことはほとんどありませんでしたが、そもそも素顔を隠しているわけではありません。
タモリさんの素顔はあまり特徴がないためデビュー当時にマネージャーに言われサングラスをかけてからそれがトレードマークになりました。
確かに写真を見てみると「優しい近所のおじさん」と言うイメージ。奇抜なお笑い芸人にはあまりイメージできない顔立ちですね。
タモリは昔、事故で義眼になっていた。サングラスを付けた理由には関係なし

タモリさんですが、小学生の頃に事故で片目が義眼になりました。下校途中に電線のワイヤーが刺さってしまったのです。
長期間学校を休校して治療に当たりましたが、視力は失ってしまったようです。しかし、サングラスをかけた理由とは関係ありません。
タモリは昔、サングラスの前に眼帯をつけていた

サングラスがトレードマークのタモリさんですが昔は眼帯もつけて活動していたようです。おそらくマネージャーから渡されたものでしょう。
しかし、しっくりこなかったのか眼帯を着けていた時期は多くなくすぐにサングラスに変わっています。
デビュー当時には先輩芸人にサングラスは失礼だと怒られたこともあるようです。「トレードマークだから外せない」とタモリさんは言いったそうで、愛着があるんでしょうね。
タモリは昔からお笑いを目指していた。小学生の時からコントを発表

続いて、デビュー前のさらに過去の小学生時代のタモリさんを紹介していきます。事故で視力を失ったころですね。
タモリさんは昔から人を笑わせるのが好きだったようで、小学生の頃から暇な時間はコントを作って同級生に披露していたようです。
タモリは昔、キリスト教でもないのに宣教師がおもしろいから教会に通っていた

さらにタモリさんは小学生の頃、教会に通っていたそうです。ですが、タモリさんはキリスト教徒ではありません。
なんと宣教師の動きが面白いからそれを見るために教会に通っていたそうです。何というかお笑いに関してあ研究熱心ですね。
タモリは昔、大学を退学になっていた。学費を全部旅行につぎ込む

タモリさんの過去ですが続いては大学編です。大学は早稲田大学に通っていたそうで、勉強もかなりできたみたいです。
しかし、旅行とジャズにはまり、学費を全部使いこんでしまったそう。その結果大学3年生時に中退になり地元の福岡県に戻りました。
タモリは昔から社会経験豊富。保険営業マン、ボウリング場の支配人を経験

タモリさんは大学を中退し、福岡に戻ってからすぐに芸能界に入った訳ではありません。最初は保険の営業マンをしていたそうです。
その後は旅行代理店、ボウリング場の支配人を経験しました。タモリさんのトーク力はここで磨かれたのでしょう。
タモリは昔、福岡から月一で上京し、素人芸人をしていた
タモリさんは社会人としていろいろな仕事をしながら月一で上京し素人芸人として活動していました。
ピン芸人のような立ち位置だったので、即興芸を披露しながら福岡と東京の2重生活を送っていたようです。
タモリの昔。芸人デビュー赤塚不二夫からラブコールあり

そんなタモリさんですが転機が訪れるのはマンガ家の赤塚不二夫さんとの出会いでした。
たまたまタモリさんを見た赤塚不二夫さんがタモリさんを気に入り「タモリの芸をもっと見たい。福岡に帰したくない」と懇願。
赤塚不二夫さんが所有する4LDKのマンションとベンツなどの車を自由に使っていいから東京に残ってくれと言ったそうです。
タモリさんもこれに応え、福岡から完全に上京することを決心したようです。
タモリの昔。黒柳徹子からも気に入られ、2度も共演

そんなタモリさんですが赤塚不二夫さんに気に入られたとはいえまだまだ世間では認知はありません。
そんな時に赤塚不二夫さんと交流のあった黒柳徹子さんの耳にタモリさんの情報が入ります。
そしていきなり「徹子の部屋」の前身である「13時ショー」に2度も呼ばれて徐々に有名になっていきます。
タモリの昔のお笑いがギリギリ。イグアナの物真似やハナモゲラを披露

そもそもタモリさんはお笑い芸人としてどんな活動を行っていたのでしょうか。今からは想像できないと思いますが、奇抜な芸をやっていました。
例えば、イグアナの物真似やデタラメ言語のハナモゲラなど。テレビ的にはぎりぎりの芸も多かったみたいです。
更には当時の皇族に「おち〇〇〇って知ってますか?」なんてコメントも。如何に過去のタモリさんがぶっ飛んでいたか分かります。
タモリの昔。笑っていいともは1982年から放送し2014年に終了。

タモリさんの知名度をぐんと後押ししたのがお昼のバラエティ番組の「笑っていいとも」です。
「笑っていいとも」は1984年に放送が開始され2014年まで続いた長寿番組。最後は視聴率の低下が理由で終了しました。
タモリさんは1982年の放送前は「3か月で終わると思っていた」とコメント。しかし、1989年から2013年まで民放の視聴率トップと言う伝説を残しました。
タモリの昔の活動まとめ

タモリさんの昔の活動をまとめましたが、人生波乱万丈でとてもまねできない経験をしていると思います。
「笑っていいとも」が終了してからはテレビで見る機会は多くありませんがこれからの活躍にも期待していきましょう!
・タモリがサングラスをかけた理由は顔が地味だから
・タモリは小学生の時に事故で右目を失明。サングラスをかけた理由とは関係なし
・タモリは小学生時代からお笑い好き。自分でコントも作っていた
・タモリは早稲田大学中退。旅行に学費をつぎ込みすぎた
・タモリは社会人経験豊富。保険営業マン、旅行代理店、ボウリング場の支配者を経験。
・タモリは福岡で勤めながら素人芸人として月一で上京していた。
・赤塚不二夫と出会い、黒柳徹子と共演して有名になる。
コメントを残す